彼岸の不明

この政治家は堂々と言ったものだ。スペクタクルとしての戦争は、常に必要だ、と。どこかで戦争が起こっているということ。とりわけ、どこか自分とは関係ない場所で悲惨な戦争が起こっているということ。ぼくらはそれを意識し、目撃することで、自己を規定することがはじめて可能になるのだ、と。
敵があって、国家が団結する、という古めかしい話ではなかった。海の向こうに、漠然とした戦場が広がっていること。戦争が、ショッピングモールのBGMのようにサラサラと、どこかから聴こえてくること。21世紀のわれわれには、そうした世界の在り方が必要だ。上院議員はこう語った。

by 伊藤計劃さん



行為規範としてはともあれ、評価規範としては全くその通りで。
彼岸の火事がメニューに並んでたわけで。
「どのコースがお好みですか?」と。
その選択の志向性とフィードバックでチマチマ悩んでウロウロしてるだけの存在であるわけで。俺は。


ゆえにこそ、まぁこういう行事にも意味があると思っていたんだが。









何も聞こえねぇよ、今回の大研修会。
何だこの全てが時講向けに生ぬるくお膳立てされた茶番は。
いや、内容が、とかじゃなくて。
共同代表めっちゃ優しいし。K池先生おもろいし。分科会和やかだし。
プロパガンダがなり立てるA嶺もいねえし。
疲れてイラついて殺気立った社員が表情殺して隣に座ってっから意味があったんだよ、これはよ。
俺らにとっては。
というか、俺にとっては。







ぼくはまだ、あの車両にたどりつけていない。腹の中に十発の弾丸を抱え、指を、腕を、脚を耳を頬を顎を失ったまま、それを気にするふうでもなくなお撃ち合いを続けるあの戦場にたどりつけていない。この距離で、ぼくは戦闘から疎外されていた。そして最低なことに、疎外されていることに安堵を覚えていた。

by 伊藤計劃さん








…これ、試験20日前の男の日記か?(笑)